会社概要・沿革

会社概要
商      号      有限会社  関根太鼓店
旧  商  号     関根太鼓屋
別      称      工 房 太夫黒 関根太鼓店
創      業      昭和24年
設      立      平成3年3月
資  本  金    800万円
従業員数    6名(取締役員含む) 
事業内容     和太鼓一貫製造・販売・修理・修復専門
      芸能関連装束製作・小道具製作・芸能イベント関連制作
      服飾パターン製作・グレーディング企画・制作他
      

本 社   〒029-1111
     岩手県一関市千厩町奥玉字宿下78番地2
     工場・店舗         78番地12~13
     倉庫他等 78番地2
     《
お問合せ》 TEL 0191-56-2220
                                            FAX 0191-56-2221
          web  
https://sekinetaiko.com/
          mail  info@sekinetaiko.com
営業所   〒989-3121
     仙台市青葉区郷六字屋敷4-94
     TEL 022-797-5980

沿 革
1949年  関根清治、信一親子により試行錯誤し太鼓の製作を手掛ける
1965年 この頃より地域の祭り太鼓の製作や神楽面の製作依頼を受け「面、太鼓屋」
    して芸能装束、小道具の製作で
名が売れ、本格的な 製作に信一は日夜没頭
    する妻のエヨミも製作を手伝い専念した
1973年  関根太鼓屋 代表 関根 信一
1983年  工房 太夫黒(玩具部門創設) 代表 関根勝志
1984年  岩手県『ふるさと特産品』千厩町指定
1990年 『日本の伝統文化に学ぶ』をもとに教育講演活動
1991年  関根太鼓屋と工房 太夫黒を 統合
     有限会社  関根太鼓店  設立
     代表取締役 関根 勝志  就任
2017年5月 仙台営業所 開設
2017年 11月15日
               
岩手の名工 「楽器製造工」として卓越技能章を授章

関根家起源と太鼓店までの紆余曲折の歴史を振り返る
起 源  関根家としての起源は分かる範囲で奥玉の地に1642年寛永19年太閤検地がなされた時代に関根屋敷 籐太郎(旧奥玉村368番地、現中日向23)鋳物鍛冶職人の記述が残っている、更に何代か遡る事だろうが文献記述が存在しないので藤太郎を初代と仮定する。
更に遡る時代に、千年の歴史を受け継ぐ「天明鋳物(てんみょういもの)」下野の国、佐野天明、現栃木県の佐野市より関根家を名乗る者たちが鋳物鍛冶職人として全国に出向き領主に使えた者が関根の名字を名乗る起源であり、藤太郎より六代目、元禄期に鍛冶職人として「林太夫」の名跡を名乗る名工が存在、その後も二代に渡り名跡を継ぐが、その後清田村足利家より壬五郎を婿養子に迎え壬五郎の子息、民蔵が生まれ家業を継ぐ民蔵はきよを嫁に迎え、この時代までは関根屋敷は裕福な生活だったと伝えられて居る。
その後、民蔵の娘、ゑんに再び、清田村榊原家より常之進(別称五升爺さん)を婿養子に迎えるが仕事に精を出す気概が無く、お餅が大好きで、もち米を借食し常に5升の餅を搗くために膨大な借金を作り、末は借金の担保に鋳物工場は勿論、財の全てを失い常之進(五升爺さん)は北海道空知郡砂川町砂川1621に転居。
常之進の長男、久右衛門は奥玉村372番地千葉家に婿入り。

林太夫(元禄時代)から五代後の明治後期、常之進の三番目の子、次男として生まれた清治は成田 好(仙台青葉城址川内追廻界隈無番地に生まれ)を妻に迎え、関根家分家届を宿下78番地に1917年大正6年3月16日に提出、清治は木挽き職人桶作り職人として極貧生活の中一家を支え、好も気仙沼市鹿折金鉱山に職工としても働き、その後78番地に住んでからは川からの毎日の水汲みも臆する事なく、特にも好は唄うのが好きで息を引き取る前日まで追分を唄った。

鋳物の鋳造型は昭和30年代までは関根屋敷の庭先にゴロゴロと置いてあった事を私(勝志)も先祖の墓参りで訪ねた際に確認して居た。
当時、使われていた金床をその後、譲り受けいまでも太鼓の製作に使用している。

1949年  清治の10番目の子、信一と清治親子により試行錯誤し太鼓の製作を手掛ける。

1965年  この頃より信一は農業の傍ら太鼓製作、芸能小道具の製作、神楽面の製作依頼を沢山受け製作が追い付かない位になる。一方、妻エヨミの手を借りこれらの他芸能装束等の製作にも専念する、妻エヨミ(矢越村七折に生まれ)は第二次大戦中は小銃等の製造工場、重機(現JUKI)に務め、完成検査をしていたそうだ。母は特にも縫製をはじめ大工の仕事も熟す(こなす)等モノづくりには人一倍長けて(たけて)居り、特にも舞踊の振り付けをしたり芸事にも秀(ひい)でて居た。

1981年  信一、エヨミの子息、勝志は建築大工の仕事をしながら祖母や母の血筋か日本舞踊の世界に深く興味を持ち、26才で花柳流のお名前「花柳菊秋月」を頂き踊りの世界へ、まっしぐらで順風満帆の時を過ごすも。
1982年 勝志は27才で頸椎1.2
を痛め一気に死の縁をも考える歩行困難な状態に迄なり深刻な闘病生活を送り身体の再起をはかり実家に戻り病と闘いながら回復を望みながら太鼓製作を手伝う。

1983年  工房 太夫黒 開業 代表 関根 勝志
伝統玩具として途絶えた「でんでんたいこ」と、自分の身体とを重ね併せ、まめだいこ(でんでんたいこ)の再起に挑み玩具太鼓や他の太鼓製作や販売も手掛ける。
その後、純恵(気仙沼市三日町生まれ)が再起の保証もない勝志との結婚を承諾、勝志は太鼓作りへの強い思いで太鼓造りへと邁進技術を研鑽し独自の太鼓胴作り、塗装、皮鞣しの技術を研鑽、その後1995年までに4人の子どもを儲ける

1991年  関根太鼓屋と工房 太夫黒を 統合
                  有限会社 関根太鼓店     設立
                     代表取締役 関根 勝志  就任
その後、踊りの師匠花柳寿々菊師から学んだ舞台芸術、表現の世界を太鼓にも精通し楽器としての音色の世界を探求し心の表現と捉え重ね深めて往き妥協を許さぬ、ものづくりへと就き進んだ。

1999年5月 「中学生と鼓童の交流学校公演」の企画・制作
いまでは廃校になりましたが一関市千厩町奥玉に在りました勝志の母校、奥玉中学校での「中学生と鼓童の交流学校公演」を皮切りに全国公演をスタートさせる。
この頃、鼓童の太鼓も製作して居た当店では中学生や高校生の殺傷事件が多発して居た事に端を発し心を病んでいる十代の子供達に向けた「心の教育」をテーマに舞台から何かしら学んで欲しいと願い、数年前より和太鼓集団「鼓童」とのやり取りから舞台作りの話を持ち掛け、勝志は表現や演出等の指導を手掛け制作から公演までを実行に移した。
その後、鼓童はこれまでの一般公演のほか交流公演を全国各地で精力的に行っている。

2017年5月    仙台営業所 開設

2017年11月15日
                
岩手の名工    「楽器製造工」として卓越技能章を授章

弊社経営理念   「お客様からの信頼を得られる性能を守る」